生きていると、
楽しいこともあるけれど、
辛いことや苦しいことも多いですよね。
誰にとっても、形は違っても
同じように幸、不幸は訪れるもの・・・
生きている人は、誰もが避けられない苦しみ。
人間関係のトラブル。
学校では、仲間外れやいじめ。
夏休みが終わるのが嫌・・・
永遠に8月終わってほしくない。
新学期の学校に行きたくない・・・
と不登校になる子供もいるんですよね。
世の中って正直クズみたいな人間て存在しますよね。
例えば、犯罪ではなくても、人のコンプレックスをわざと傷つけるように指摘したり、
聞こえるように陰口を言う人。
太ってるとか、ハゲとか、肌荒れしやすいとか、にきびの跡があるとか、
そうした悩みって、人の体質もあるので、どうしようもないこともありますよね。
どんなにキレイな女優さんでも、ライバルなのか蹴落としたい気持ちで、気に入らないと
悪く言われることもあるみたいです。
だから、そうした人の弱い部分とか体質について傷つけるように言う人って、
人間のクズだと思う。
傷付いた時にどうしたらいいのかわからなくて、悩んでいた時
ある人が言っていました。
そんなクズみたいなヤツが言うことなんて気にしなくていいよ、負けないことが大事だって。
言い返せるなら言い返せばいいし、ガン無視でもいいと思うと。
どちらにしても、そうゆう人の弱いところをつついてくる人なんて、ゴミ以下のクズでしかないからと。
生きている上では修行。
世の中には無駄な出会いは多分ないと思うんですよね。
嫌な人との出会いにもなにかの意味はあった。
そう考えると、職場や学校に嫌な人っていたりするものだけど、
苦手な人がプログラミングされてるかのごとく、必ずいるものですよね。
そうした人の言葉で自殺していく人もいれば、強く歯向かっていく人もいる。
修行なのかなと思いますね。
嫌な言葉を言う人がいたら、反面教師にして、こんな人間にはなっちゃいけないよって神様かなにかのメッセージかなと。
世の中、強くて優しい人が最強だと思うので。
人の弱いところ突いてくるような人間て、強くも優しくもないですよね。
だから魂としては最低レベルなのかなと思います。
不登校にならなくても、
どうしても会いたくない人がいるから
嫌だなと仕方なく嫌々学校に通う子供は多い。
離れられない関係性だからこそ、
嫌にもなるけど、これも修行かなと思う時がありますね。
人から嫌な言葉を言われたら、こんなにも傷つくんだ。
自分は他の人には言わないでおこうと感じるための修行、課題だったのか・・・と
割り切ることも大事です。
学校はそうした人の思いを知るための場所だったように思います。
人からバカにされたり、ひどい言葉を言われたり、
わざと嫌がらせを受けたりして、
腹が立つこともありますね。
できれば復讐したい、恨みが消えない、許せない、
と怒りの感情であふれることもあるのが人間ですよね。
いじめてきた人やバカにしてきた人、むやみに見下してきた人、
ひどい言葉を言ってきた人。
卒業して会うこともなくなり、
今現在、その人が幸せに暮らしているとしたら許せない!!!
と怒りに燃える気持ちはとても理解できます。
自分を苦しめた人が幸せそうでいるなんて許せない!!!
と思う気持ちは誰にでもありますよね。
できれば同じ苦しみを与えてやりたい。
傷つけたい!
せめて謝罪をしてほしい。
と考えることもありますね。
しかし、心配しなくても、世の中
良いことをすれば良いことがそのまま自分に返ってくる。
悪いことをすれば、悪いことがいずれ自分に返ってくる。
というのは必ずあります。
仏教の道理の一つで、原因があれば結果がある、という世の中の法則です。
インドの言葉では、カルマと言いますが、
生きている人は、みんなどこかでいいことも行うこともあれば、
つい、悪いことをしでかしてしまうこともありますよね。
人は完璧じゃないから・・・
特に小学生や中学生、こどもの頃なんて、言葉のいじめや嫌がらせをついしてしまった人も多いのでは
ないでしょうか?
負けたくない思いが強くて、相手が言われたくない言葉を言ってみたり、
思ってもない言葉で人を傷つけたり・・・
好きでもない人から告白されて、そんな好きでもないけど
恋愛してみたくて適当な相手と付き合ってしまったり・・・
でも、本気じゃないので、嫌になり別れを切り出したら
相手を傷つけてしまったり・・・・
大なり小なり、悪気はなくても人を傷つけてしまうこともありますよね。人生生きていると・・・
人を傷つけると、罪悪感が残ります。
前世で、悪いことをしてしまったり、人を傷つけてしまったことも、
もちろん、なにかしらの形で帰ってきます。
人から恨まれるようなことを何度もしていれば、
たくさんの恨みのエネルギーが向けられることになるので、
その後の人生が幸せになれるのか?と
言えば謎ですよね。
おそらく、なにかしらの恨みのエネルギーは悪い形でその人の元へ返ります。
人をいじめて苦しめたり、陰でこそこそ悪口を言ったりするのも、
良くない行いなので、当然悪い形で帰ってきます。
人だけじゃなくて、動物や植物なども生きている生物を
傷付けることはダメです。
当然、カルマの法則は働きます。
誰もが忘れた頃に。
タイムラグを経て返るのがカルマの法則です。
https://furusato-toyoma.jp/archives/126
人には知られないところで良いことをする行いのことを
陰徳を積む、といいます。
街中のゴミを拾う、という小さなことでもいいのですが、
人からありがとう、と直接言われなくても、
嬉しい、と喜ばれることをすることが陰徳になります。
人を元気にさせる行いをする、喜んでもらえる贈り物を送る。
笑顔で接する。
良い行いも悪い行いも、目に見えて測ることができないものですが、
結果的に自分に返ってくる法則です。
徳は目には見えないものですが、積めば積むほど溜まっていきます。
徳を積んでいると、
本当に困った時に、その力は発揮されます。
ここぞという時に、なんとか乗り切ってこれた。
助けてくれた人があらわれた。手を差し伸べてくれる人があらわれる。
日頃から徳を積んでいると、
困った時、弱った時に、そうした人があらわれてくれるのです。
寄付をしたり、慈善活動をすることは、いい種を撒くことに繋がります。
そうした良い行いをすることで、また自分に良いことが返ってくる日がきます。
https://furusato-toyoma.jp/archives/934